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自殺を考えていた時に、救われた気になったもの(4)
定時制高校でちょっとしたリンチに遭い、ぼくは中退した。 ちょうど予備校で大検コースが新設される時期で、そこに入学する。大学に行こうとしていたのである。 その大検コースの数学の講師に、Kさんがいらっしゃった。5階の教室で、黒板の横に非常階段のドアが開けっぱなしになっていた。夏だったのだ。 そのドアの向こうを教壇から見て、Kさんは「高い所にいると、吸い込まれそうになるね。」と言った。そして、「もし死にたい人がいたら、ぼくに言ってね。…見ててあげるから。」 30人くらいはいたろうか、ぼくら... ...続きを見る |
2008/05/26 13:12 |
自殺を考えていた時に、救われた気になったもの
ぼくの自殺願望歴は長い。 小学校4、5年の時、学校に行きたくない自我の芽生えとともに、自分は生きていてはいけない人間だと考えた。 多くの、同じ小学生たちは、全く「普通に」学校に通っていた。行きたくないとして、頑として実際に行かなかった自分に、「自分は普通ではない」という意識が芽吹いた。もうダメだと思った。 ...続きを見る |
2008/05/26 08:45 |
無知の知
かの女史が歌う、 「もう知らん顔して、歩き出す時なのに」。 かの女史は歌う、 「ギターは辞めたんだ、食っていけないもんな」。 ...続きを見る |
2007/12/29 23:56 |
学校に行かなかった頃
取り憑かれるように読んでいた漱石とドストエフスキー。 ぼくにとっての、唯一の「勉強」だった。 分からない漢字がいっぱい出て来て、そのたびにぼくは辞書を引いた。 だいじな、知らない言葉たちだった。だから、ぼくはそれを知ろうと、躍起になった。知れなければ、その物語、先へ進めない、進むことはできる、でも、「意味」、肝心な意味を知らなければ、どんなに先へ進めても、不毛なのだった。 ...続きを見る |
2007/11/14 21:14 |
私の不登校体験(33)
大学に、足が向かなくなったのは、小学生の頃の「学校拒否」と同じような、身体、生理的、もっと言えば細胞的な「拒否」であった。 ぼくは、知らないのだ、なぜ9歳の時と同じような感覚がまた19歳で再動し、この足が、学校、大学に向かなくなるのかを。 ...続きを見る |
2007/11/03 12:40 |
私の不登校体験(32)
予備校の大検コースで一緒に勉強をしたM君から電話が来た。 「どうだった? かめは。」 「うかったよ、関東学院。」 「あ、おめでとう。いや、よかった、落ちてたら、話しづらいからさ。」 「Mはどうだった?」 「うん、うかったんだけどね。」 「おー、よかったじゃん。どこ?」 「上智の法学。」 「上智?」 ...続きを見る |
2007/05/31 15:31 |
私の不登校体験(31)
また夏が来て、昨年落とした「地理」1教科だけのために、また大検試検会場に向かう。 今回もこの「地理」が不合格だったら、来年の2月の大学受験はできない。そしてぼくはまた来年の夏「地理」を受検し、合格したら、再来年に大学を受験することになる。 今回、大検がダメだったら、もう大学はあきらめて別の道を探そうと思っていた。もう勉強をする気力は萎えていたし、そんなにまでして大学にこだわらなくてもいいだろう、という冷めた気持ちも芽生えていた。 ...続きを見る |
2007/05/31 13:18 |
私の不登校体験(30)
ひと夏が過ぎて秋になると、体調がすこぶる悪くなった。3ヵ月半、しっかり乗っていた朝の満員電車が、耐えられなくなる。吐きそうになってしまうのだ。 予備校に着き、苦しいために、ほとんど決死の覚悟で90分の講義に出席しても、吐き気は泥水のように身体中を駆け巡り、どうしようもなかった。 つまり、勉強どころではなくなったのだ。 ...続きを見る |
2007/05/26 11:28 |
私の不登校体験(29)
はるか昔以来の続き、やります。 えーと、出席日数度外視で中卒後、夜間高校でイザコザがあって辞めて、大検から大学へ行こうと予備校に入り、その年の大検を受け、数学の講師だった小林一路さんの呼びかけで「脱学校の会」に参加していた頃の話。 ...続きを見る |
2007/05/15 17:10 |
「あんふぁんて」の
20代半ば前、ケイコさんがいた。 彼女は、お子さんが不登校児で、ぼくが当時やっていた「学校に行かないでもいいではないか」という主旨の会への電話取材がきっかけで知り合った。 ...続きを見る |
2007/02/27 03:20 |
不登校体験(28)
「学校に行かなくてもいい」ということを社会に発信するために、小林さんはこの会をつくったそうである。 学校に行かなくてもいい、という考えに、ぼくは小学生の時、救われたようなものだった。 だが、もうぼくは17才になっていたし、学校についてあれこれ考えを巡らす時期は終わったものだ、と自分で決めていた。 ...続きを見る |
2006/12/09 16:10 |
不登校体験(27)
ぼくはこの時期、確かに勉強をするしかなかった。 だが、わき目も振らず study 一直線、というわけでもなかった。 親しくなった人たちと、未成年にもかかわらず、たまにビアガーデンに行きディスコに行き、完璧な息抜きもした。 家でビールを飲み、みんなで裏ビデオを見、タバコを吸った。 ...続きを見る |
2006/12/08 22:36 |
不登校体験(26)
この年、1984年、大検の受検科目は13教科だった。 定時制高校で1年次に単位を修得していた3教科は受検を免除され、ぼくは残りの10教科を受検する。 ...続きを見る |
2006/12/08 21:47 |
不登校体験(25)
1984年、当時の「大検」(大学入学資格検定試験)の受検教科は、13科目だった。 定時制高校に1年通ったぼくは、1年で修得した単位、3科目が免除され、10科目を受検することになった。 (しかし、なんだって「単位」、4とか3とかの数字で表されるのだ?そんな数字、要らないじゃないか。) 試験が行なわれるのは、7月31日からの4日間。 予備校の大検コースの講義が始まるのが、4月半ばだった。 3ヵ月半の間に、ぼくは何をさしおいても、勉強をし続けるべきだった。小学校も中学校もロクに行ってない... ...続きを見る |
2006/11/24 19:44 |
人を信じられないって
不登校していた頃は、確かに信じられなかった。この世、あらゆるもの、ぜんぶ。 だが、親がぼくを容認(せざるをえなかったのだろうとおもう)してから、息がし易くなった。吸える空気が、自分の部屋にあった。家に、酸素ができた。 ...続きを見る |
2006/11/15 06:37 |
不登校体験(24)
「定時制を辞めて、予備校に通おうと思ってるんです。大検を受けよう、と…」 店長に言う。 「じゃあ、店も辞めるのか?」 「はい、そうなると思います。」 「ちょっと待て。…メシでも食おう。」 店長とぼくは寿司屋に入った。 「大学に行こうとしてるのか?」 「はい。」 「小学校も中学も、あんまり行ってなかったんだろ。あのね、大学っていうのはね、高校に3年通って勉強してたって、簡単に入れないんだよ。夜間の大学だったら、いいかもしれない。」 大学出の店長は、ぼくを説得しようとしていた。... ...続きを見る |
2006/11/06 20:43 |
不登校体験(23)
もっとも多くの物が激しく投げられたのは、クラス担任教師の受け持つ「地理」の時間だ。ぼくを通過した筆箱、教科書等は、教師にさえ当たっていた。 世界史、理科の時間は、かれらは教室から消えていた。かれらは、教師を見ていた。この先公なら物を投げられる、この先公には投げられない、と。 その教師の、何を見ていたか?「自我」だ、その先公の抱える、もっている自我だ、それは恐れとか脅威ではない。 世界史は、授業に入る前に、「よろしくお願いします」と生徒に頭を下げる教師だった。理科は、どこにでもいるような... ...続きを見る |
2006/11/06 20:06 |
不登校体験(22)喧嘩両成敗
続き、やります。 ...続きを見る |
2006/11/06 02:44 |
不登校体験(21)ボコボコ。
その日の授業がすべて終わった後、教室に残れ、とN君グループに所属する1人が言ってきた。 これからぼくの身に何が起きようとしているのか、予期できた。だが、不思議と恐くなかった。これ以上、クラスメイトを辞めさせられてたまるか、という気持ちが強く後押ししていた。 ...続きを見る |
2006/06/28 15:47 |
不登校体験(20)コンプレックス
続き、やります。 ...続きを見る |
2006/06/28 14:08 |
不登校体験(19)夜の学校
この高校受験を、ぼくはもちろん失敗する。 だが、ぼくは本気で学校というところへ行きたくなっていた。 家の近所にある都立高校は、常に「定時制生徒募集」の看板を出していた。 受けると、合格した。受験者全員が合格したのではないかと思う。 ...続きを見る |
2006/06/11 22:38 |
不登校体験(18)ガッコウニ、イキタイ
初めてもらった給料は、6〜7万円ほどだったと思う。 そのうちの1万円を、「お米代です」と言って母に渡すと、イッパシの親孝行をしたような気分になった。兄がいつもそうしていたので、兄のマネをしただけだった。 残りのお金は、LPレコードや洋服、ビールとなって消えていった。 ...続きを見る |
2006/06/07 04:58 |
不登校体験(17)働くなかで
学校に行っていなかったことが、働く中で何か弊害になるのではないか、というのは、杞憂であったようである。 ただ、まったく無心に、言われたことを守りながら、品出しや掃除を一生懸命やっていると、1日1日が過ぎていった。 そして勤務時間が終わり、ユニフォームを脱いで店を出ると、やった、今日も働けた!という喜びが実感として体の内側から湧き出てきた。 ...続きを見る |
2006/06/04 23:22 |
不登校体験(16)社会へ出る
もう卒業も近い時期になり、誰も生徒がいなくなったような放課後の学校へ、母と一緒に行く。三者面談だった。 卒業したら、どうするのか。担任からぼくは訊かれた。 漫画家のアシスタントになりたい、とぼくは答えた。 コネはあるのか、と担任が訊く。コネの意味が分からなかったぼくは、笑って照れたふりをした。 ...続きを見る |
2006/06/03 13:28 |
不登校体験(15)恋の終わり
教室の一番後ろの窓際に、無いはずのぼくの机があった。そしてぼくは1日、授業を受けた。時間割も知らないし、教科書も何も持っていかなかったと思う。ぼくはただ、ずっと静かに座っていたのだ。 ...続きを見る |
2006/06/03 12:57 |
不登校体験(14)2年振りの登校
「心から君を愛している」と彼女に告白したのは、その年の夏だった。 ぼくが彼女に恋愛的な好意を抱いていたことは彼女も知っていたようだったし、彼女もぼくに対して悪意を抱いてはいなかった、むしろ気になる存在として映っていたようだった。 ...続きを見る |
2006/06/03 11:56 |
不登校体験(13)自殺を考えていた彼女
中2の春だった。それまで学校帰りに1人でぼくの家に遊びに来ていた友達が、彼の恋人を連れて来るようになったのだ。 さらにふたつのカップル(恋人どうしではなかったが、2組の男女である)が来るようになった。彼らとは、顔は知っていたが、ぼくはほとんど初めて話す間柄で、しかし仲良くなることができた。 ...続きを見る |
2006/06/03 10:00 |
不登校体験(12)鉄アレイ、腹筋、腕立て伏せ…
当時国鉄に勤めていた兄は、地方の独身寮に住んでいて、家に帰ってくるのは週末だけだった。だが、たまにぼくに手紙を書いて送ってくれていた。 その中で今も覚えているのは、 『どうぞ身体を鍛えて下さい。そして本を読んで下さい。読書は、人生体験を筆者と共有できる、貴重な経験になります』 とのくだりである。 ...続きを見る |
2006/05/27 15:58 |
私の不登校体験(11)中学に行く
中学に入学したぼくは、今まで家に閉じ籠っていた鬱憤を晴らすように、張り切って登校を始めた。 何も考えず、家の外に堂々と出て行ける喜びを、気持ちよく感じることができていた。 ...続きを見る |
2006/05/27 15:24 |
私の不登校体験(10)家の中で
しばらくして、母がパート勤めを始め、昼間家の中はぼく1人、という日が週に何回かできた。 電話が鳴っても取ることはできない。誰かが玄関の戸を叩いても、出ていけない。小学生は、学校にいる時間帯なのだ。 ...続きを見る |
2006/05/16 22:20 |
私の不登校体験(9)小児精神科で
それからまもなく、ぼくは1度だけ、病院の小児精神科へ母と一緒に行ったことがある。 千葉県にある、国立国府台病院という所で、渡辺位(たかし)先生という方がいらっしゃった。 両親はこの医者をひどく気に入っていたらしく、「ミツルの書いたマンガを読みたいから、持って来てほしい、って言ってたわよ。見せてあげたら?」と明るく言われ、ぼくは遊びに行くような感じで、少し緊張しながら診察室に入ったのだった。 ...続きを見る |
2006/05/16 21:30 |
私の不登校体験(8)忘れもの
学期はじめに5、6日行くだけで、あとは全く登校しないまま、ぼくは小学5年になる。出席に日数の全く足らないぼくの進級は、校長の一存で決められた。 ここで担任が若い男の教師に変わり、ぼくは生まれて初めて顔にビンタを食らった。原因は、忘れ物である。 ...続きを見る |
2006/05/15 20:53 |
私の不登校体験(7)自殺願望
相変わらず、自殺を、よく考えていた。 ただ、本気で死のうとはしていなかった。 ...続きを見る |
2006/05/14 12:45 |
私の不登校体験(6)祖母の死
日曜・祭日は、平日よりも気持ちが楽になる。 誰もが休みの日であれば、学校を休んでいても文句は言われないだろう、と考えられたからである。 ...続きを見る |
2006/05/14 08:34 |
私の不登校体験(5)ひとの目
母は、区の教育相談所や、大きな病院の精神科などに駆け込み、ぼくも何回か連れていかれた。強制的に、ではない。自室の外へほとんど出ることのない生活だったので、家の外へ行きたい気持ちがあったのだ。 ...続きを見る |
2006/05/14 07:50 |
私の不登校体験(4)給食と体育
以前、兄がたまたま家にいる時に、担任の先生が家庭訪問に来たことがある。ぼくは音を立てないように、兄の洋服ダンスの中に隠れた。 先生、母、祖母に兄が加わって、ぼくを探していた。見つけたのが兄だった。 ぼくはブラ下がった洋服の間から兄をニラミつけ、「言うなよ」と言った。 兄は、何も言わずぼくを見つめた後、タンスのドアを閉めた。 それからしばらく、また母たちのぼくを呼ぶ声がして、あきらめた先生は帰っていった。 ...続きを見る |
2006/05/12 04:25 |
私の不登校体験(3)兄の日記
「明日は行くから。ほんとうに、明日は行くから。」 必死になって、ぼくは母に言った。母の涙を止めたい一心だった。 この子は明日から学校に行く、と思ってくれれば、また昨日のように、「普通の家庭」に戻ってくれる、という思いがあった。 ...続きを見る |
2006/05/10 04:24 |
私の不登校体験(2)かくれが。
翌日、ぼくは登校時間前に隠れる場所を決め(実は夜のうちから寝床の中で考えていたのだが)、トイレや2階に行くふりをして、姿をくらませた。 ...続きを見る |
2006/05/09 04:13 |
私の不登校体験(1)理由のなかった不登校はじめ
親の目から見れば、突然ぼくが学校に行かなくなった、と映ったことだろう。 だが、ぼくにとっては、ごく自然なことだった。 どうしようもなく、身体が学校に向かなくなった、としか言いようがない。 頭では、「学校に行かなくちゃ」と強く思っていても、身体はそれ以上に強く学校を拒否していたのだ。 ...続きを見る |
2006/05/08 14:04 |
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