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どうしてもだ、人間、人間、人間、何なのか、というところ、それが、避けられない。 人間らしさ? 「らしさ」、らしいというからには、その「本体」があるだろう。イメージだ。忌むべき「絶対」の権化たる、イメージが、あるのだ。 たとえば仕事をしていて、ひとのことを考えず、自分のことばかり考える人がいたとする。それもまったく人間らしいだろう。 逆に、ひとのことばかりを考えて、自分のことをおざなりにする人も、人間らしいだろう。 つまり、人間の為すことは、すべからく「人間」という範疇を超えられないのだ。 自分とまるで異なっていたとしても、自分とあたかも同質であったとしても、「人間」の限界を超えられないということ。 超えられないということ。 そこで、何やらいがみ合ったり、ひとりでいやな思いをしたりするのは、微笑せざるを得ないような滑稽さがあるようにおもう。 その滑稽さとともに、どうも、たたかっていかないと、ならないようだ。 だから「超えられない」というのは、ひとつの希望のようにも思える。これが無限だったら、いたたまれないからだ。 しかし、それでも、だから、たたかわなければならないように、そのありがたい限界のなかで、どうやら、人間というのは、できているものらしい。 |
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